ぶだう酒と切支丹 豊前領小倉

ぶだう酒を作り申す時分にて候間(そうろうあいだ)、上田太郎右衛門に便宜次第申遣作(つかわせつくら)せ可申旨(もうすべきむね)、御意之由(ぎょいのよし)

小倉藩主だった細川忠利が江戸初期にワイン造りを家臣に命じた文章(奉書)が2016年熊本大学の永青文庫研究センターで見つかりました。

1628年8月28日の事、忠利が家臣の上田太郎右衛門にぶどう酒造りを命じました。同年の9月15日には、上田太郎右衛門より他の家臣にぶどう酒造りの技を教授するよう指示しています。
また、太郎右衛門の領地があった仲津郡大村(現・みやこ町犀川大村)で、原料のガラミ(野ぶどう)、
を収穫した記録も残されています。

そもそも何のためにワインを造らせたのか?上田太郎衛門がなぜワインの醸造法を知っていたのか?
ですが、細川初代藩主 忠興の妻であり忠利の母である玉子はガラシャの洗礼名を持つキリシタンと
して有名です。忠興はガラシャの入信のきっかけを作り、大阪での自害の後も丁重に弔いの儀式に
携わったスペイン人神父 グレゴリオ デ セスペデスを小倉城下で密かに匿います。
神父が小倉で亡くなる1611年まで毎年ガラシャの追悼ミサを小倉の教会にて行っていました。
キリスト教のミサに必要不可欠なもの、そうっ!ワイン ぶだう酒です。
私は上田太郎衛門はこの神父より醸造法を教わったのではと推測しています。スペイン式のワイン醸造を。
当時のスペインではワインの熟成に陶器の甕を使用していたので、豊前領内の陶器の甕を使ったとしたら
それは当然・・! 上野焼の甕だったと。!(^^)!

その他にも、上野には、隠れキリシタンの聖地だったと伝わる久留守(クルス)池と呼ばれる場所が
あったり、実はもっともっとお話しできるのですが、本日はこの辺で。

遅ればせながら、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2019年01月07日(月)