上野焼Aganoyaki

福岡県田川郡福智町上野でつくられ続けてきた陶器の器で主に茶道に使われる道具を制作することが目的で400年以上前に窯が築かれ格調高い陶芸作品が多く焼かれてきました。現在はその伝統や志を受け継ぎながら現代の暮らしの中に潤いや癒しを与えられるようなものづくりをモットーに制作を続けています。

1968年、上野焼宗家渡窯に生まれる。東京造形大学彫刻科卒業後、アジアを周遊。1994年、郷里である。 上野に戻り、渡久兵衛(父)に師事。 現在は、渡窯の十二代を継承し、作品を生み続けている。

経歴を見る

1968上野焼宗家渡窯に生まれる

1993東京造形大学彫刻科卒業 アジア周遊

1994郷里 上野に戻り 父 久兵衛に師事

1998西部工芸展入選 以後連続入選

1999韓国 金沙土器(キムチ甕)にてたたき技法修業

2000日韓若手作家交展開始 以降2009年まで10度開催

2005日本伝統工芸展初入選

2007日本陶芸展初入選 日本伝統工芸展入選

2009日本陶芸展入選 日本伝統工芸展入選

2010日本伝統工芸展入選 日本工芸会正会員に認定

2011日本陶芸展入選 日本伝統工芸展入選

2012西部伝統工芸展九州朝日放送賞受賞

2012日本伝統工芸展入選

2013菊池ビエンナーレ入選 日本伝統工芸展入選

2014日本伝統工芸展入選 日本橋三越にて個展

2015日本伝統工芸展入選 菊池ビエンナーレ入選

割山椒warizansho

上野焼で400年も前にデザインされ作られた割山椒(わりざんしょう)は今では伝統的な日本料理店で最初に提供される料理の小鉢としてよく使用されています。 1929年に開かれたオークションで江戸時代初期に作られたこの器の落札額は現在の価格に換算すると4500万円以上と当時でも破格のものでした。

釉薬glaze

上野焼では400年という長い歴史の中でたくさんの種類の釉薬が使用されてきました。 また一つの釉薬でも焼き方や高温による化学変化で全く違った表情や色を見せてくれます。

clay

良い焼き物を作る際には、良質な土を使用することが必要です。 上野の土を使いその土の持ち味を最も引き出すことができるように陶土の精製には非常に時間と手間をかけています。

松の木pine tree

山の真南向きの斜面の立地ということもあり、かつて上野周辺は松の群生地でした。 400年という長い間、この地で炎が絶えなかったのは焼き物の燃料に最適である燃焼カロリーの高い松が豊富に育ち続けていたことが一つの要因といえます。

歴史

小倉藩藩主であった
細川忠興公の茶陶窯として開窯

引用 : Wikipedia

上野焼は、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・ 慶長の役)で招致された李朝陶工・尊楷 が開祖であり、小倉藩藩主”細川忠興”公 の茶陶窯として開窯しました。 尊楷は地名にちなんで上野喜蔵高国と名 を改め、利休七哲の一人であった細川忠 興好みの格調高い茶陶を献上し続けます。 そのあと、尊楷は藩主の移封(国替え) に従って、肥後熊本に移りましたが、十 時孫左衛門と娘婿の渡久左衛門が上野に 残り、新藩主となった小笠原家のもと、 皿山本窯で上野焼を継承し今に至ります。

上野焼の草創期の釜の口窯跡

引用 : Wikipedia

釜の口窯は上野で最初に築かれた登り窯です。 41メートルの長さは日本の中でも最大級の規模でした。 今では竹や草木によって浸食を多大に受けていて、 周辺の工房跡や住居跡と共に早急な文化財の保護が課題となっています。

茶道とキリスト教の関係

日本の伝統である”茶道”のお作法の中には、キリスト教の影響を強く受けたものがあり、茶 道とキリスト教には共通点がいくつか存在します。実はキリスト教と茶道が日本で広まった のは、ほぼ同時期であることがわかっており、千利休の7人の高弟「利休七哲」の中の高山 右近、牧村兵部、蒲生氏郷の三人はキリシタンで、古田織部、細川忠興もキリスト教と深く        関わりがあった可能性があります。忠興の妻、細川ガラシャは有名なキリシタンであり、忠興がガラシャ 追悼のために小倉に建てた教会の中には茶室も作られていました。

茶道に影響を与えたキリスト教①

 

茶道

回し飲み(濃茶)

千利休が確立した回し飲み(濃茶)は、人数分 入った茶を少しずつ飲んでは、次客に回してい きます。他人とは一定の距離感を置く日本文化 において、これは異例のことですが、一つの茶 碗を皆で共有することにより「価値観を共有」 することができます。

引用 : Wikipedia

キリスト教

最後の晩餐

またキリスト教の最後の晩餐においては、パンを「キリストの体」、葡萄酒を「キリストの血」と見立て、弟子たちに与えました。皆で「一つの価値観を共有する」ために最も重要な行為で、千利休はこの考えを茶道に反映させたのではないかと思われます。

茶道に影響を与えたキリスト教②

 

茶道

にじり口

厳しい上下関係があった当時の日本に
おいて、にじり口という刀を持っては
通れない小さい間口から入らせること
で茶室にいる人間たちは皆平等という
環境を作りました。それにより、身分
の差を超え、価値観を共有しやすい場
となったのです。

引用 : Wikipedia

キリスト教

「狭き門から入れ」

「狭き門から入れ」とは財産や地位、名声、武 器などこの世のモノを持ったまま天国の門は通 れない、それらを全て脱ぎ捨てた者こそが「狭 き門」をくぐり、天国に続く細い道に進めると いう意味です。茶道における「にじり口」はこ の考えを忠実に体現しています。

400年前の窯跡から出現したマスクの陶片

バフォメット?
(有名なキリスト教の悪魔の一人)

モーセ?
(キリスト教において最も重要な預言者の一人)

釜の口窯跡(1602~1632)より3つのマスクの陶片が同所で発掘されました。 東洋人とは思えない顔つきや頭の三本の角やあご髭などから、預言者モーゼと天使ミカエル、悪魔バフォメットではないかと想起されます。 キリスト教の寓話を基に同一の器体に張り付けられていて、何か布教のために使ったのではないかと想像されます。 「裁きは神だけのもの」 であるとして当時の為政者からの厳しい弾圧からの心の救済を示す器であったのかもしれません。

神父と上野の陶工

細川ガラシャ
引用: 戦国武将研究会

細川忠興の妻ガラシャは、大阪でスペイン人神父 グレゴリ オ・デ・セスペデスと出会い洗礼を受けます。ガラシャの 死後丁重に弔らったのもこの神父でした。 忠興はその恩もあり、神父を小倉城下に匿います。小倉城 下には藩主のお楽しみ窯であったといわれる菜園場窯があ り、上野からたびたび陶工を呼び寄せ作陶させておりまし た。忠興は神父の為に教会を建て、その中には茶室まであ りました。そこで使われたであろうお茶道具は上野の陶工  達により作られたのではないかと考察できます。

上野周辺のキリシタン遺産①

加賀山隼人(キリシタン)の墓

聖地だったと地元に伝わるクルス池

上野の里より程近くに忠興の側近であり優秀な家老であった加賀山隼人のものと思われるお墓がひっそりとたたずんでいます。 隼人の殉教後、彼の娘(彼女もキリシタン)の蟄居地であるこの場所に弔われました。 またクルス池からは、キリシタン関連の遺物が発掘されており、周辺にたくさんの隠れキリシタン達がひっそりと暮らしていたことが想像できます。

上野周辺のキリシタン遺産②

絵踏みが行われていた光願寺

加賀山隼人のお墓のアップ写真

肘から上が着脱可能に作られた
マリア観音?

光願寺では、絵踏みが行われていたと言われています。絵踏みとは、江戸幕府が当時禁止 していたキリスト教の信徒を発見するために、イエス・キリストの絵を踏ませる手法です。 また肘から上の部分のない木彫の観音像は、その手に幼きイエスを抱いたマリア像ではないかと考えられます。

作業工程陶器製作のおおまかな四工程を紹介しています。

1) 土づくり

まず山から採ってきた土をよく乾燥させたもの
を写真のスタンバー(唐白)で数十時間粉砕す
る。次にその粉砕した土を水簸(すいひ)と呼
ばれる作業で不純物や粒度の大きい砂などを取
り除く。当窯ではこの時に磁石で砂鉄を取り除
いています。水簸したものを素焼きの鉢のなか
で、水分を適度になるまで抜き、土倉のなかで
数ヶ月寝かせる。寝かせている間に微生物の作
用により使いやすい土となります。

2) 轆轤成形

画像は大型の花器を轆轤引きしています。この 後ある程度乾燥が進んだ状態で下部の削りだし 作業を行い形を仕上げます。

3) 釉薬掛け作業

上野焼の釉薬原料は土灰(木灰)・藁灰・長石 ・含鉄土石(ヤケ)・銅などである。なかでも 灰類の精製は時間と手間がかかります。いずれ にせよ原料(素材)選びと精製方法は非常に大 切で時間のかかる作業です。そうして作られた 原料を調合したものが釉薬です。写真はヤケ釉 をスプレーガンで施釉しているところです。

4) 窯焚き

人事を尽くして天命を待つ。現代の電気窯やガ
ス窯はもちろんですが薪を使う登窯においても
データをもとに効率よく、作業は進めたいもの
です。そのようにはしておりますがやはり最後
は神のみぞ知るです。電気やガス窯においても
やはり炎の神様はおります。

窯元ご案内

上野焼宗家 渡窯、Watarigama

住所 福岡県田川郡福智町上野 3065
営業時間 平日 9:00 ~ 18:00 土日祝 9:00 ~ 18:00
電話番号 0947-28-2175
定休日 不定休 電話にてお問い合わせください。

>> JR福北豊線・筑豊本線でのご来場の場合

JR博多駅から直方駅で平成筑豊鉄道にのりかえ、赤池駅下車から約4km(タクシー約8分)

>> 車でのご来場の場合

九州自動車道 八幡インターチェンジより、約11km(約18分)